「隣の芝生は青い」という言葉には、「何でも他人のものはよく見えるものである」という意味があります。
人のことを羨ましく思う場面でよく使われる言葉ですが、正しい使い方を知らないという人もいるのではないでしょうか。
この記事では、「隣の芝生は青い」の意味や使い方などを例文を交えながら、分かりやすく解説していきます。
「隣の芝生は青い」の意味は『何でも他人のものはよく見えるものである』
【隣の芝生は青いの意味】
《The grass is always greener on the other side of the fence. の訳語》
何でも他人のものはよく見えるものである。隣の花は赤い。隣の糂粏味噌 (じんだみそ) 。
引用:goo辞書
隣の芝生は青いの読み方は「となりのしばふはあおい」です。
語源は英語のことわざの「The grass is always greener on the other side of the fence」です。
直訳すると「塀の向こうの芝生はいつも青々としている」という意味です。
芝生は正面から見るよりも、横から見る方が綺麗に見えることが由来となった言葉です。
『隣の芝生は青い』には
- 何でも他人のものはよく見えるものである
- 隣の花は赤い
- 隣の糂粏味噌
などの意味があります。
「隣の芝生は青い」の正しい使い方を例文で紹介!
「隣の芝生は青い」は、何でも他人のものはよく見えることを表す際に使われる言葉です。
間違った使い方をすると相手に伝わらなかったり、失礼な印象を与えてしまう可能性もありますので、例文と共に正しい使い方を知っていきましょう。
例文①
隣の芝生は青いもので、友達が持っているものはよく見える。
例文②
専業主婦の私には、バリバリ働いている人が輝いて見える。隣の芝生は青い。
例文③
隣の芝生は青いから、若くして結婚した友人が羨ましい。
例文④
いつも兄のことを羨ましく思って妬んでしまう。隣の芝生は青いなぁ。
例文⑤
隣の芝生は青いが、みんなそれぞれ悩みを抱えているものだ。
【隣の芝生は青いを使う時の注意点】
「隣の芝生は青い」は、「隣の芝は青い」「隣の芝生は青く見える」ということもあります。
同じ意味合いで使われますので覚えておきましょう。
「隣の芝生は青い」の類義語・言い換え3選
『隣の芝生は青い』の類義語や言い換えの言葉は3つあります。
類義語を知り、同じ意味を持つ複数の言葉を使い分けることができると相手とのコミュニケーションが円滑になります。
相手の理解度や状況に合わせて、最適な言葉を選択していきましょう。
- ないものねだり
- 隣の花は赤い
- 隣の糂粏味噌
類義語①ないものねだりの意味
ない物を欲しがること。実現できないことを無理に望むこと。
引用:goo辞書
ないものねだりをしてしまう自分が嫌になる。
類義語②隣の花は赤いの意味
隣の芝生は青い
引用:goo辞書
いつも彼が注文するメニューの方が美味しそうに見えてしまう。隣の花は赤いものだ。
類義語③隣の糂粏味噌の意味
隣の糂粏味噌(ぬかみそ)のほうが香ばしく感じられるように、よそのものはなんでもよく見えること。
引用:goo辞書
それは隣の糂粏味噌だと思うよ。
「隣の芝生は青い」と「隣の花は赤い」の違いは?
「隣の芝生は青い」と「隣の花は赤い」は似ている言葉ですが、どのような違いがあるのでしょうか。
「隣の芝生は青い」には、何でも他人のものはよく見えるものだという意味がありますが、
それに対し「隣の花は赤い」にも、何でも他人のものはよく見えるものだという意味があります。
どちらも、他人のものがよく見えることを表す慣用句で、同じ意味の言葉として使われます。
「隣の芝生は青い」は英語で『the grass is always greener on the other side of the fence』
隣の芝生は青いは英語の『the grass is always greener on the other side of the fence』に言い換えることができます。
the grass is always greener on the other side of the fenceの意味
《諺》 垣根の向こう側の芝生はずっと青々としている,隣の芝生はうちのより青い,他人のものは何でもよく見える
英語の『the grass is always greener on the other side of the fence』には
- 垣根の向こう側の芝生はずっと青々としている
- 他人のものは何でもよく見える
などという意味があります。
「隣の芝生は青い」の対義語・反対語は『吾が仏尊し』
隣の芝生は青いの対義語は、『我が仏尊し』になります。
吾が仏尊しには
- 自分の信じるものだけが何がなんでも尊いとする、他を顧みない偏狭な心をいう
- わが仏尊し
などの意味があり、自分の信じるものだけが何がなんでも尊いとすることを表す際に用いられます。
僕は必要以上に人と比べることはしません。吾が仏尊しです。
何でも他人のものはよく見えるものだということを表す「隣の芝生は青い」に対して、自分の信じるものだけが何がなんでも尊いとする、他を顧みない偏狭な心という意味の「吾が仏尊し」は、反対の意味の言葉として使うことができます。