[沖縄を語る]翁長雄志氏 県外移設で再結集を 政府と戦えるのは沖縄だけ(再掲)

2018-08-10 11:41:00投稿 (記事提供:沖縄タイムス)

記者会見で辺野古埋め立て承認の撤回の手続き開始を表明する翁長雄志知事=2018年7月27日、沖縄県庁

翁長雄志氏の「沖縄を語る」を再掲載します

 2018年8月8日、翁長雄志沖縄県知事が死去しました。辺野古新基地建設阻止を貫き、2期目に意欲を示していましたが、帰らぬ人となってしまいました。オスプレイの配備や辺野古建設を強行する政府に対峙してきた翁長氏は2013年、「オール沖縄」を率いて対政府の先頭に立つ決意を本紙に語っていました。強い信念の半面、苦悩や葛藤ものぞかせており、沖縄の政治家の内面を記録したインタビューとなっています。再掲載します(記事は2013年12月8日、沖縄タイムス1~2面に掲載。肩書き、役職、数字などは当時のままです)
 
 おなが・たけし 1950年生まれ。那覇市議2期、県議2期を経て、那覇市長4期目。父親は沖縄戦の戦没者を慰霊する魂魄の塔を建立した元真和志市長の助静氏。昨年9月のオスプレイ反対県民大会、今年1月の東京要請行動の共同代表を務めた。しまくとぅばの普及にも積極的に取り組む。
 
 「戦後68年。日々の生活があるにもかかわらず、ウチナーンチュは基地を挟んで保守、革新に分かれて血みどろの戦いを強いられてきた。冷戦終結後も、沖縄は基地があるせいで、保革に分かれてにらみ合いを続けてきた」
 自民党県連の幹事長なども歴任した典型的な保守政治家。米軍普天間飛行場の名護市辺野古を推進したこともある。
 稲嶺恵一前知事を与党の立場から支え、軍民共用化や15年使用期限などを政府に求めた。しかし、政府が検討を約束したはずの受け入れ条件は「空手形」のごとく裏切られた。「県外移設」を訴えた鳩山由紀夫首相の誕生と退陣。
 もう、苦渋の選択をする必要はない-。
 従来の政治的なイデオロギーではなく県民としての「アイデンティティー」に基づく「県外移設」への再結集を呼び掛けている。
「県民に自信を持ってほしい」と語る翁長雄志那覇市長=那覇市役所
 政府が求めている辺野古埋め立て申請に仲井真弘多知事はどんな判断を下すべきなのか。「今の若い世代や若手政治家が、責任世代になった時に、基地問題への異議申し立てができるようにしてほしい」。事実上、埋め立て申請の不承認を求める。
 重大な岐路に立つ今の沖縄を考える時、常に頭をよぎる出来事がある。米軍統治下の1956年、米軍が強制接収した土地を一括で地主から買い上げるというプライス勧告に、当時のウチナーンチュが結束して、圧力をはねのけたことだ。その中には、真和志市長だった父親の助静氏もいた。
 「あの時、土地を売っていれば国有地にされ、今の私たちに、(基地撤去を求める)政治的な選択の余地は与えられていなかった」
 半永久的な基地固定化にもつながりかねない辺野古移設。一方で、政府が唱える負担軽減策は実態と実感が伴わない「話クワッチー(ごちそう)でしかない」と切り捨てる。
 自民の国会議員5人に続き、自民党県連も辺野古容認に転じた。秘密保護法成立で見せた安倍政権の強硬姿勢は今度は沖縄に向かう。「日本中、どこを見ても一地方で政府と戦えるのは沖縄だけだ。県民には自信を持ってほしい」(聞き手、政経部・知念清張)
オスプレイの強行配備に抗議し、シュプレヒコールをあげる翁長那覇市長(前列右から2人目)=2012年10月1日、宜野湾市・野嵩ゲート前
 
 -「オール沖縄」の枠組みが崩れた。
 「崩れたにしても僕が残ったように、那覇市議会が決議したように、仲里利信元県議会議長、稲嶺恵一前知事も、県外を求めるべきだと主張している。県外移設を求める枠組みそのものが、全く相反する二つに割れたのではない」
 「県連自体も翁長政俊会長がお辞めになり、国場幸之助さんも『本当は県外移設なんだ』と言わなければ生きていけないようなそういう部分をつくり上げたのはまさに41市町村長と議長、県民が結束したからだ」
 -最近、沖縄はイデオロギーではなくアイデンティティーでまとまるべきだという発言をしている。
 「米軍統治下の1956年、米軍が強制接収した土地を一括で地主から買い上げるというプライス勧告に、沖縄の人たちは、みんな一緒になって『駄目だ』と言って売らなかった。まだ、イデオロギーに分かれていない時代。あの貧しい時期、喉から手が出るほどお金がほしかったはずなのに、自分の先祖の土地を売らないということで、結束して巨大な米軍の圧力をはねのけた」
 「それが、今日生きている。もし、あの時土地を売っていれば国有地にされ、今の私たちに政治的な選択の余地は与えられていなかった」
 「その後、沖縄はがっちりと冷戦構造に組み込まれてしまった。東西冷戦で、『理不尽なもの(基地)は沖縄にあるけれど、共産主義になったら大変でしょう』と。保守は自由主義をかばうためにやってきた。革新は県民の誇りや人権を守ってきた。県民同士も血みどろの戦いをしながら。沖縄県民だけが、ずっと基地があるせいで、保革に分かれてきた」
 「本土では1993年、日本新党や新生党、社会党など(非自民非共産)の政党が細川連立政権をつくった。そこで冷戦構造にピリオドが打たれた。それから政治が液状化し、社会党が影響力を失い、民主党が政権を握った」
 -県民がアイデンティティーで結集することが重要だと考えるようになったのは、「最低でも県外」と言った民主党政権の誕生も影響しているのか。        
 「自民党の時にも、民主党に変わっても、結果的に沖縄に基地を置いておけということになった。オールジャパンで、沖縄に基地を置いておけということになっちゃった。それまでは自民党が安保政策に責任を持っていたわけだが、残りの国民は沖縄に理解があると思っていたら、なんのことはない、理解がなかったということに、民主党政権が終わって気が付いた」
 「オールジャパンに対しては、オール沖縄で結束しないと駄目だ。基地問題で沖縄が主張する場合でもイデオロギーではなくアイデンティティーを持って、県民の心を一つにして頑張らないと本土全体の無関心、無理解にはとても立ち向かえない。最大公約数で頑張ろう、というのが私の言葉の意味だ」
オスプレイの強行配備に抗議する東京行動で、デモ行進する翁長那覇市長(中央)。道路脇から沖縄バッシングのやじも飛んだ=1月27日、東京都・銀座
 
 -保守政治家としてオスプレイ反対運動の先頭に立つことに葛藤や迷いはなかったのか。
 「政治家としては大変恐ろしかった。自民党県連の幹事長もしたし知事、国会議員の選対本部長もした。それをやる人間が、普天間飛行場のゲート前でシュプレヒコールをする苦しさ、悲しさ。『僕はどういうふうに政治からはじき飛ばされるかな』という恐怖感はあった」
 「保守の側から『おまえいつから革新になったんだ』と非難の手紙や電話も来た。だが、保守でなければウイングを広げることはできない。革新の皆さんには純粋性と潔癖性と本当にすごい誇りがあるんだけど、包容力という意味では弱い。誰かがやらなければできない。だから、僕が真ん中へ行った」
 -翁長さん自身、辺野古移設を認めた経緯がある。
 「一人一人が、時代の流れに沿いながら行動してきた。稲嶺恵一知事は辺野古移設ではあったが、15年使用期限と軍民共用を政府に突き付けた。供用開始から15年後には民間空港として使う。(日米政府が)条件をのんでいたら15年間は米軍も安心して使えた。民間機が飛べば、地域の振興にもつながる計画だった」
 「鳩山(由紀夫首相)さんが『県外』と言ったことで、苦渋の選択というものが、もうなくなったと僕は思っている」
 「決定的に駄目になったのは(反対運動で2005年に)防衛施設庁が(ボーリング調査のための)やぐらを撤収した時だ。(県民に)運動を続ければ基地を造らせないことができるという気持ちが、そこでできた。当時は今と同じぐらい自民党に力があった。県も名護市も周辺市町村もみんな賛成していた。強引に進めれば余計に困難が起き、嘉手納基地の使用まで危なくなるという全体の安全保障への影響を考えて撤収したと思う」
 -日本政府は辺野古への移設ができない場合、普天間飛行場が、「固定化」するとしている。
 「普天間はすでに米軍再編、日米同盟に耐えられない飛行場になっている。辺野古に造られれば、オスプレイなど100機の運用が想定されている。宜野湾市民の命を考えているというよりは、日米同盟のために移そうとしている。辺野古に移設できなくなったら、海兵隊は普天間に居続けることはできない」
 「(住民の)命も危ない上に、国際社会からも非難を浴びる。県民にはいつでも怒りの声を上げるマグマがある。そういう環境の中で、日米安保体制が維持されることはあり得ない。辺野古ができなければ、普天間の固定化もない」
 「仲井真(弘多知事)さんも、『固定化は政治の堕落だ』と言った。とても素晴らしい言葉を使ったと思う。万が一、事故があると普天間は維持できない。砂上の楼閣に日米同盟が乗っかっている。普天間の固定化はあり得ない」
 -本土側の無理解はどんな時に感じるか。
 「『沖縄を甘やかすな』という官僚の言葉もある。1月の東京要請行動で、僕は一言で言わないと伝わらないと思って『一体、沖縄が日本に甘えているんですか。日本が沖縄に甘えているんですか』という言葉を使わせてもらった。沖縄に対し『誠心誠意』『ご理解お願いします』と来るが、どっちが甘えているのか根源的な問いをあらためてやらないといけない」
 「参議院予算委員会が5月に沖縄を視察した時、『本土でいやだって言っているんだから、沖縄で受け入れるしかないだろう。不毛な議論はやめよう』と発言した自民党の委員がいた。僕が『先生ね』と、抗議しようとすると他の会派の先生が止めに入り、その場は収まった。県外を主張していた国場さんらも東京で『お前たちが受けるべきだ、昔からお前たちだろう』と同世代の議員に相当厳しく言われた」 
NOオスプレイ県民大会への参加を呼び掛ける実行委の翁長雄志那覇市長(中央)ら=2011年、県議会
 
 -いまだに振興策で基地を受け入れさせようという考えがある。
 「27年間の米軍支配による空白を埋めようと復帰後40年にわたって高率補助など政府が沖縄の振興に、力を入れたことは認める。しかし地方交付税と特別な振興策などの合計を、1人当たりで計算すると47都道府県の真ん中ぐらいだ。これだけの基地負担に見合うようなものではない」
 「例えば四国と本州に3本の橋を架ける四国架橋、九州新幹線。『日本の負の部分を背負っているから』『迷惑を掛けているから』と言って計画されたわけではない。『地域力を伸ばして自分たちも幸せになって日本のために貢献しなさい』ということだ」
 「沖縄だけ那覇空港の平行滑走路も、大学院大学も『基地を持っているからやる』というのであればとても理不尽だと思う。安倍晋三首相が『沖縄が日本経済をリードしていく』というのは大変素晴らしい言葉。基地があるからという話では全くない。県民が卑屈になる必要は全くない」
 -沖縄に基地が集中する危険性を指摘している。
 「ニューヨークで起きた9・11テロの時ですら沖縄の観光客は3、4割減った。尖閣諸島で衝突が起き死者が10人出れば石垣地域への観光客は9割来なくなるだろう。こういったことを肌で感じるようなものを持たないと沖縄は一瞬で駄目になる。犠牲が何百人、何千人単位となれば沖縄全体が戦争になるようなものだ。駄目になって政府が愛情を持って県民を救うだろうか。原発事故であれだけ被害を受けながら、なおかつ国が面倒をみてくれない福島を見れば分かる」
 「新都心や北谷町のハンビーの返還後の発展を見れば、基地はもはや沖縄にとって経済的な阻害要因。基地がなくなれば、物が食べられない時代ではなく、もっと飛躍的に発展する。県民所得に占める基地関連収入の割合は復帰時で15%、今は5%。返還後の税収や商業への波及効果など経済効果は数十倍だ」
 -仲井真知事の辺野古への埋め立て承認申請への判断が注目されている。
 「知事判断をどうするのか、具体的に私が言うとややこしくなってしまう。辺野古移設を進めるのは難しい。知事は判断に当たって10年後、20年後の政治家が誇りと自信を持って、沖縄のその時々の問題に当たれるような、素地をつくってもらいたい」
 「東京行動であれだけ、沖縄がすべて一緒に行動しても、政府は一顧だにしなかった。これから先、場合によってはもっと厳しい環境下で声を上げないといけない時が来る。知事には(政府の基地政策に)『冗談じゃないよ』と言えるものを残してもらいたい」(聞き手=政経部・知念清張)

 
 

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