「達観」という言葉には、「広く大きな見通しをもつこと・周囲に惑わされず何事にも動じない心でいること」という意味があります。
人の印象を説明するときなどによく使われる言葉ですが、正しい使い方を知らないという人もいるのではないでしょうか。
この記事では、「達観」の意味や使い方などを例文を交えながら、分かりやすく解説していきます。
「達観」の意味は『広く大きな見通しをもつこと・周囲に惑わされず何事にも動じない心でいること』
【達観の意味】
- 広く大きな見通しをもっていること。遠い将来の情勢を見通すこと。
- 目先のことや細かなことに迷わされず、真理・道理を悟ること。俗事を超越し、さとりの境地で物事にのぞむこと。
引用:goo辞書
達観の読み方は「たっかん」です。
「達」と「観」は小学4年生で習う漢字で、
- 「達」はなしとげる・果たす
- 「観」はみる・ながめる・かんがえる・ものの見かた・考え方
の2つが合わさってできた言葉です。
『達観』には
- 広く大きな見通しをもっていること・遠い将来の情勢を見通すこと
- 目先のことや細かなことに迷わされず、真理・道理を悟ること
などの意味があります。
「達観」の正しい使い方を例文で紹介!
「達観」は、広く大きな見通しをもつこと・周囲に惑わされず何事にも動じない心でいることを表現するときに使われる言葉です。
間違った使い方をすると相手に伝わらなかったり、失礼な印象を与えてしまう可能性もありますので、例文と共に正しい使い方を知っていきましょう。
例文①
子どもながらに世界情勢を達観いている小学生がいる。
例文②
一つの意見にとらわれずもっと達観した考えを持ちましょう。
例文③
今年の新入社員は冷静で達観している人が多いように感じます。
例文④
私の同僚はいつも達観している人で、大事なときに頼りになります。
例文⑤
達観の境地に至るには、人生経験を積んでいかなければならない。
【達観を使う時の注意点】
「達観」には広く大きな見通しをもつこと・周囲に惑わされず何事にも動じない心でいることの2つの意味があります。
例文③・④のように、一般的には「達観している人」というように使われることが多いです。
しかし、「達観している人」は褒め言葉として使う場合と皮肉を込めた悪い意味として使う場合がありますので親しくない人に使う場合は注意が必要です。
「達観」の類義語・言い換え5選
『達観』の類義語や言い換えの言葉は5つあります。
類義語を知り、同じ意味を持つ複数の言葉を使い分けることができると相手とのコミュニケーションが円滑になります。
相手の理解度や状況に合わせて、最適な言葉を選択していきましょう。
- 俯瞰
- 諦観
- 悟り
- 通覧
- 解脱
類義語①俯瞰の意味
父は何事も俯瞰できる人なので父の意見はいつも納得がいく。
類義語②諦観の意味
諦観の境地にいたるには、もっと人生経験が必要だと思う。
類義語③悟りの意味
- 物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。察知。
- 仏語。迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。
引用:コトバンク
我が子は子どもながらに悟ったのか、祖母を名前で呼んでいる。
類義語④通覧の意味
学校説明の資料を通覧する。
類義語⑤解脱の意味
瞑想することで少しだけ現実から解脱できたような気持ちになります。
「達観」と「俯瞰」の違いは?
「達観」と「俯瞰」は似ている言葉ですが、どのような違いがあるのでしょうか。
「達観」には広く大きな見通しをもつこと・周囲に惑わされず何事にも動じない心でいることという意味がありますが、
それに対し「俯瞰」には、高い所から見下ろし眺めること・ある事柄や状況に対して客観視することという意味があります。
どちらも物事を見るという点で共通していますが、「達観」は広い視野で見通す、「俯瞰」は物事を高いところから見下ろすという視点の違いがあります。
また、「俯瞰」は高いところから見下ろし眺めるという行為だけを表していますが、「達観」は広い視野で見通した上で悟ることを表している言葉です。
「達観」は英語で『philosophical』
達観は英語の『philosophical』に言い換えることができます。
英語の『philosophical』には
- 哲学の・哲学者の(ような)・冷静な
- 達観した・(…を)達観して・あきらめて
という意味があります。
「達観」の対義語・反対語は『執着』
達観の対義語は、『執着』になります。
執着には
- 一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと
などの意味があり、何かにとらわれ、そこから離れられないことを表すときに用いられます。
新婚だからか妻の私への執着心がとても強く、困ってしまう時があります。
「達観」は周囲に惑わされず何事にも動じない心でいることという意味に対し、「執着」は一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないことを意味する言葉です。