「釈迦に説法」という言葉には、「知り尽くしている人にそのことを説く愚かさ」という意味があります。
日常会話やビジネスシーンでよく使われる言葉ですが、正しい使い方を知らないという人もいるのではないでしょうか。
この記事では、「釈迦に説法」の意味や使い方などを例文を交えながら、分かりやすく解説していきます。
釈迦に説法の意味は『知り尽くしている人にそのことを説く愚かさ』
釈迦に説法の読み方は「しゃかにせっぽう」です。
語源は仏教の教えを説いた張本人である釈迦に、説法(仏教の教義を説き聞かせること)をした人の愚かな行為からきており、
『釈迦に説法』には
- 知り尽くしている人にそのことを説く愚かさ
などの意味があります。
「釈迦に説法」の正しい使い方を例文で紹介!
「釈迦に説法」は、使うシーンによって少しずつ意味が変わってきます。
間違った使い方をすると相手に伝わらなかったり、失礼な印象を与えてしまう可能性もありますので、例文と共に正しい使い方を知っていきましょう。
例文①自分がへりくだる時
自分がへりくだって相手に何かを提案する場合時に使われます。
【例文①】
釈迦に説法とは承知しておりますが、商品の成分内容に変更がございましたので説明させていただきます。
【例文②】
釈迦に説法ではございますが、この提案はもっと修正する必要があるかと存じます。
例文②自分の非を詫びる・謝罪する時
自分の非を詫びたり、謝罪する時に使われます。
【例文①】
釈迦に説法の発言となってしまい、大変申し訳ございません。
【例文②】
大変申し訳ございません。釈迦に説法な発言をどうかお許しください。
例文③誰かをたしなめる時
誰かをたしなめる時に使われます。
【例文①】
彼はお医者さんですよ。あなたがそんなこと言うのは釈迦に説法だよ。やめた方がいい。
【例文②】
彼女は派遣社員だけど、簿記1級を持っている経理のプロです。そんな彼女に教えるなんて、釈迦に説法ですよ。上から目線で教えない方がいいと思います。
【釈迦に説法を使う時の注意点】
「釈迦に説法」は知り尽くしている人にそのことを説く愚かさを表現したことわざで、自分がへりくだる時・自分の非を詫びる時・誰かをたしなめる時に使われます。
また「釈迦に説法」は、自分に対して使うと自分が「知識がある人」「その道の達人」であると言っているのと同じになり、相手に不快な印象を与えてしまう可能性があるので注意が必要です。
「釈迦に説法」の類義語・言い換え3選
『釈迦に説法』の類義語や言い換えの言葉は3つあります。
類義語を知り、同じ意味を持つ複数の言葉を使い分けることができると相手とのコミュニケーションが円滑になります。
相手の理解度や状況に合わせて、最適な言葉を選択していきましょう。
- 猿に木登り
- 河童に水練
- 孔子に悟道
類義語①猿に木登りの意味
そのことをよく知っている者に教え込もうとするような、無駄な行為のたとえ。
引用:goo辞書
元サッカー選手の彼にサッカーを教えるなんて、猿に木登りですよ。
類義語②河童に水練の意味
社長に経営について語るなんて、河童に水練だと思う。
類義語③孔子に悟道の意味
彼は農家の人に農学部で学んだ知識を語っていたが、孔子に悟道だと思う。
「釈迦に説法」は英語で『teach one's grandmother to suck eggs』
釈迦に説法は英語の『teach one's grandmother to suck eggs』に言い換えることができます。
teach one's grandmother to suck eggsの意味
なんでも知っている人に物を教える、「釈迦(しやか)に説法」をする、経験を積んだ人に忠告する
英語の『teach one's grandmother to suck eggs』には
- なんでも知っている人に物を教える
- 経験を積んだ人に忠告する
という意味があります。
「釈迦に説法」の対義語・反対語は『馬の耳に念仏』
釈迦に説法の対義語は、『馬の耳に念仏』になります。
馬の耳に念仏には
- 馬にありがたい念仏を聞かせても無駄である
- いくら意見をしても全く効き目のないこと
などの意味があり、いくら意見をしても全く効き目のないことを表すときに用いられます。
後輩に何度も確認してほしいと伝えてきたが、馬の耳に念仏だった。
「釈迦に説法」は知り尽くしている人にそのことを説く愚かさという意味で、「馬の耳に念仏」はいくら意見をしても全く効き目のないことを意味しています。